このブログは現在52歳のおっさんの過去と今を綴るブログです。
17歳で初めてパニック障害を発症し、30歳で再発し、ようやく日常生活に支障のないレベルまで回復したおっさんの現在と過去の奮闘記をブログにしてみようと思いました。
あまり需要がないものと思いますが、私の周りにも現在進行形でパニック障害に苦しんでいる方が何名かいらっしゃいます。
そして本人ではなく、ご家族や大切な方がパニック障害で悩み、どう対応して良いかわからないと悩んでおられる方もいらっしゃると思います。
その方達のトンネルを抜け出すきっかけにでもなれば光栄です。
一言でパニック障害と言っても、様々な症状があるので私も全て分かっているとは思いませんが、症状が私に似ている方の参考にはなると思います。
そしてこのブログは、パニックで悩んでいた過去と、生活に支障が無くなった状態の現在の2本だてになっていますので、カテゴリーをいくつかに分けていこうと思います。
私の生い立ち
まずは自己紹介ですが、昭和45年広島県のとある町で、ごく普通のサラリーマンの兄と二人兄弟の次男として生まれ普通に育ってきました。子供の頃はどちらかというと活発で運動も勉強も積極的に取り組む子供でした。
小中学校は普通の公立学校で、高校は地元の進学校に進みました。
地域の周りの環境は決して治安がよろしい地域ではなかったので、周りもタバコを吸ったり、バイクに乗ったりする子が多かったです。
私も例外なくそれらの行動をしていく中で、徐々に学校にも行かなくなり、バイクに乗って遊んだり、バンド活動に没頭するようになり、次第に学校にも行かなくなってきました。
当然のごとく成績は急降下。
両親も私がそこそこ良い大学に行くってくれるものだろうと信じていたみたいです。
最初のパニック発作
そうした17歳の冬の出来事。
当時付き合っていた彼女の家にいつものようバイクに乗って向かっている途中、突然手足が痺れて力が入らなくなり、頭は意識がなくなっていくような感じになり、バイクを降りてとりあえず救急車で病院に行きました。
その時は前日の寝不足や疲労が重なったものだと思い、少し休めば治るだろうと安易な考えでおりました。
そこから一週間後、高校2年生ということで塾の冬季講習で45分くらいかけて電車に乗り駅近くにある学習塾に向かっていたところ今度は電車の中で一週間前のようなことが起こり、またまた救急車で駅近くの病院に連れていかれました。今考えるとこれが2回目の発作でした。
どうもこれはどこか身体に異常があるのではないかと心配になり、地元の病院に精密検査を受けに行きました。
しかし身体を見てもらっても、脳の検査をしてもどこも異常が見当たらないのです。
令和4年の今からすると35年も前の話なので、パニック障害という病名も存在すらしているかどうか定かではないです。
少なくとも地方の病院では知られていなかったと思います。
堂々巡り
経験ある方もいらっしゃる方思いますが、そこからはいわゆる病院のハシゴが始まります。
しかし大学病院にまで行ってもどこも異常が見つからないのです。
脳、心臓、血液、骨格、消化器、いろんな場所を検査して全く異常がないのです。
現在ならパニック障害という病名はメジャーになってきつつあるので、少し回り道をしなくて済んだのかもしれません。
そこからの私は段々と外出するのが怖くなってきました。
そうです。引きこもり気味になってきました。
ここからがその時の自分にとっては地獄の始まりだったのです。
ここまでは極力省略して書いたつもりですが、当時の状況を詳細に書いていくと長くなりますね。
少しずつ書いていこうと思いますので、少しずつお付き合いください。
現在はパニック発作はほぼ無くなり(近い状態になることはありますが)日常生活にはほぼ支障が無くなっております。
断薬も進めてきましたが、まだゼロにはなっていません。
かれこれ20年くらい、量は少なくなったとはいえ服薬していますが、今のところ薬害と思われる症状は全くないです。
早く治したいという焦る心があることは経験上私もとても理解できます。
いつまでこの苦しみに耐えれるだろうと落ち込む事も多々あると思います。
ただ経験上一つ言えることは、出来ないことが出来るようになるきっかけというのはホントに些細なことで、しかも、昨日までは永遠に出来ないかもしれないと思っていた行動が意外にあっけなくできてしまうということもあるという事を、一つ希望の光として書いておきます。
それでは次回まで。
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