はじめに
久しぶりのblogアップですね。
今日もパニック障害克服記を書いていこうと思います。
気持ちの変化
人間って不思議ですね。
闘病期には、毎日毎日もう死んだ方が楽になるんじゃないかって考えたり、周りに起こる全ての出来事に過敏になってしまったり。
世の中で自分が一番不幸なんじゃないかと考えたり。
そんな毎日を送っていたのに、克服してしばらくしたら、もうそんなことは忘れちゃって、毎日何か楽しいことはないかなって考えたり、次はこんなことに挑戦してみようと思ったり。
結局闘病してる時は楽しいことよりも、今日どうやって生きようとか、収入無くなったらどうしようとか、ここでパニック発作起こって心臓が止まってしまったらどうしよう、妻や娘息子が路頭に迷ってしまうのではないかと。
将来のことなど全く思い浮かびもしなくて、ただただ外出もできず、負の連鎖で引きこもってしまうんですよね。
毎日毎日恐怖に怯え、予期不安で身体は震えて、そんな自分が情けないばかりです。
三度の飯より好きだった車の運転まで、その時はパニック発作が起こる恐怖でしかない。
そんな状況下で新しい挑戦など到底頭にも浮かばないんです。
前にも書きましたが、今この文章読んでる方には、不安でどうしようもない、という方が多いと思います。
しかし治った途端に好きなスポーツでも旅行でも趣味でも仕事でも、何でも普通の人みたいに出来ちゃうんです。
夢のようではありませんか?
何度も言いますが、パニック障害は治る病気です。
出来ればすぐに治るのがベストなのですが、なかなか厄介な病気なので、どうしても時間がかかります。
私の体験記で治るきっかけが見つかって、1日も早く皆さんがパニック障害から抜け出せるよう祈っております。
小さな出来事
前置きが長くなりましたが、今日の本題です。
パニック障害の克服は小さな変化の積み重ねから最後は大きく変わって一瞬で治る印象です。
今回は少し長くなりますが、良ければお付き合いください。
それは2度目のパニック障害が発症して3年目くらいでした。
パニック絶不調だった私は一人で外出できるはずもなく、いつもと同様に妻と保育園時の末っ子のスイミングスクールに行ってた時でした。
二人で居たにも関わらず突然パニック発作が起きてしまいました。
発作が起きてしまったら、当然私は全く動けなくなります。
病院へ点滴に行くわけですが、当然息子は保育園児なのでお迎えに行かなくてはなりません。
私はもう少し側にいて欲しいと頼みましたが、その時、ブチ切れて「あんたにずっと付いとるわけにいかんのんじゃけん勝手にしんさい」っと言われました。
冷静に考えれば当たり前の事を言われただけなのですが、パニック発作中の私は心拍数がもっと上がり、パニック発作が酷くなりました。
相当なストレスだったんだと思いました。
何とか病院に着いて、点滴受けても、なかなか発作が治りません。
治まるどころか、どんどん発作が酷くなりました。
動悸は寝てても心拍数120くらいで動いてるし、身体はずっと震えているし、頭の中は何が何だか分からない状態でただただ狂いそうな感覚です。さすがに今回だけはダメかと思いました。
おそらく2時間くらいこの状態が続いたのかと思います。
この日だけは本当に終わったと思いました。
この時の発作と、妻の発言、その時弱っている私には相当衝撃を与えられました。
助けてくれる人は誰もいないとさえ思ってしまったのです。
実際はずっと支えてくれていたし、私が自由に動けないのも我慢してくれていましたが、妻もいっぱいいっぱいになってしまったんだと思います。
そして現実幼稚園児の末っ子をほっとく訳にはいかないのも事実です。
大きな気づき
しかしその時、自分がいかに妻に依存していたかを、改めて実感してしまいました。
頭では分かっていましたが現実の自分を突きつけられた気分でした。
この依存がパニック発作を長引かせていたものだとも感じました。
パニック障害は、一人で出来ることが制限されるので、自ずと他人に助けてもらわなくてはならない状況になるのですが、助けてもらい出すと、それが当たり前になってしまって、克服するチャレンジから知らず知らずのうちに逃げてしまう自分が作り出されるのです。
挑戦ばかりするのもストレスが増大するので問題何でしょうが、長い闘病で挑戦すらしなくなれば、おそらく一生パニック障害は治らないのではないかと思います。
もちろん私は心療内科の先生ではないので、医学的なことは説明できませんが、認知行動療法っていうんですかね。
出来なくなったことを、出来るようにするためのチャレンジをしていかないと前には進めませんので。
今回の出来事を振り返ってみると、妻が私を放っておいて息子の迎えに行ったことが、一見冷たいように感じられますが、一般的には当たり前の事であり、逆に私に付き添うという選択をした場合、逆にパニック障害の闘病は7年半どころか、20年経っても一向に改善していなかったかもしれません。
そういった意味でも妻にはとても感謝しております。
とても大事なこと
パニック障害は誰かが治してくれるものではありません。
結局は自分が何とかしないと克服できないのです。
もちろん、誰の助けも求めるなということではありません。
最悪に困った時は誰かの助けは絶対必要になります。
ただ、その状況が続いてチャレンジをしなくなり、逃げてばかりいるのが問題だと私自身振り返ります。
時にはチャレンジすることに疲れることも多々あります。
やっと出来ないことが出来るようになっても、また出来なくなることもあり、前進してるのか後退してるのか分からなくなることも多々あるからです。
パニック発作はいきなりなくなるものではないですから。
ただ、諦めず、色々工夫しながら、いろんな方法を使いながら進めていくと、必ず出来なかったことが出来るようになって、冒頭で話したように、いつかその苦しんだことすら記憶が薄れていくことでしょう。
私の経験でしかないですが、克服にヒントやきっかけになるものを色々書いていこうと思います。
それでは次回まで。
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